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Distortion Life

ゲーム開発者つよがエンタメを思考したら発信するブログ

生まれて初めて社員になった僕が職歴を振り返ってみる vol.002

暫く間があいてしまいました。気がつけば2016年は始まっていて、気がつけば四月です。去年書き始めた、職歴公開エントリを終わらせようと思いますよ。

会社役員って何やんの

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紆余曲折の末に会社設立に立ち会う事となった僕は、会社役員と云う立場を手に入れました。取締役と云うヤツです。知っていますか、取締役って何すんのか。当時の僕は本当に何も解っていない世間知らずの馬鹿でして、なんか大仰だナくらいにしか思っていませんでした。

 まあしかし、取締役が何たるかを知っていたとしたら、ホイホイ引き受けたりはしなかったのかもしれない事を思うと、知らなくて良かったのかもしれません。少なくとも、そこから12年かけて段々と取締役になっていった、のは間違いないと思います。

最初はただただ開発していた

何はともあれ開発。取締役になったその日から何かが劇的に変わるような事もなく、ちょっとした新鮮味と新しく借りたテナントの新装感が目新しいだけで、とにかくゲームの開発を立ち上げる必要がありました。

 当時、孫請けと云う形ながら数千万円規模の案件を任される事が決まっており、しかしながらプログラマを擁する組織ではなかった為、早急にプログラム実装を受託(ひ孫請け)してくれる会社を見つけなくてはなりませんでした。

 僕自身、グラフィックに拘りを持ってはいたものの、営業的観点や発注先のアテなんかも一切ありませんから、ただただポカンとしてしまう有様でした。しかし、社長は違いました。

 どこからともなく立ち上がったばかりの会社情報を入手してきては、片っ端から逢いに行っていたのです。10件も逢えば、肌が合う会社とそうでない会社の違いも見えてくるだろう、と云うザックリ勘定で動いていました。そしてそれはもう超正しかったのです。

 幾つめかの会社を紹介してもらい逢いに行った所、世代的には自分達よりも10年ほど上の人達が作った会社が見つかります。仮にB社とします。このB社は設立したて、とは云え大手パブリッシャの元K社OBの集団でした。表立った動きを全然していないながら、技術力がべらぼうに高い人々だったのです。

 よくこんな人たちを見つけて来たな、と思いました(後でご本人達に聴いても、よく自分達を見つけられたなと感心しておられました)。

 こうした高機動型営業が得意技の社長だったので、役員の僕がぽやーんとしていても、次々と会社間のコネクションを構築していきます。

 僕はただただぽやーんとしていた訳ではなく、受注した案件のアートディレクタ的役割を形作る作業に没頭していました。

個人戦からチーム戦への転換

最初の壁はコレでした。会社立ち上げから5年くらいはずーっとこのテーマで七転八倒しまくっていたような気がします。元々が1デザイナ出身でフリーランスもやってたりしたモンですから、基本的に自分が動かないと死んでしまう人種なんですね。自分自身の性質が正にそうだったので、仕事においても自分の担当業務は基本的に自分一人でこなすものだと認識していました。

 ところが会社組織ではソレをやっちゃあいけません。

 企業にお勤めの方々からすればごくごく当たり前の事だと思います。しかし、新入社員研修などの教育を一切受けた事がないままに会社役員とかなっちゃうと、そんな当たり前の事がさっぱり判ってないわけです。

 とは云え、曲がりなりにも会社組織になってしまった以上、個人で消化出来る程度の仕事量ではなくなってきますから、やり方を変えざるを得なくなってきました。「変えよう」と思ったワケではなく、仕方なくそうなったと認識していると、変化を推進するカロリーは低めなんですね。

 で、5年もかかっちゃったわけです。

 「誰かに仕事を任せる」と云う事を実行する為には、それまでとは全く違ったベクトルの様々な準備が必要だと思い知る5年だったとも云えます。最初は方法論が何もなかったのでかなり非効率な働き方をしていました。

  1. デザイン要件をまとめる
  2. デザイン指示書を作るor頭の中でまとめる
  3. 打合せをしてスケジュールと要件を部下に指示する
  4. 予定日にデザインリソース・データを回収する
  5. 出来栄えに納得出来ないのでリテイクを返す
  6. 再提出されたデータに納得いかないが作業期間は残っていない
  7. 徹夜して自分で直す
  8. 納得できるものになったが体はヘロヘロ
  9. 部下の成長が遅い悪循環スタート

 だーいたいこんな感じ。クリエイティブ系のお仕事されている方だったら一度や二度は思い当たるんじゃないでしょうか。そらそうなんですよね、それまで自分でOKラインを決めて自分で作業していたのだから、同じやり方で他人の成果物が同じ結果にたどり着くワケないんです。

 でも本人はなかなか気が付きません。

 人の成長について、真剣に考えだしてからです、ちゃんと人に仕事を任せる事が少しづつでも出来るようになってきたのは。「完璧主義」と誤解されがちですが、これは単なる自己中心的性格の一側面に過ぎないな、と思います。云いかえると、成果物のディテールに捕らわれるあまり仕事(orプロジェクト)全体の目的やゴールを見ていなかった、てことでしょう。

開発者から管理者への転換

コレが一番ヤバいです。超難敵です。ラスボスよりも強い中ボスみたいな感じでしょうか。開発者である事にヤリガイを感じて業界に飛び込んだのに、その一番のヤリガイである開発行為を他者に一切合切明け渡した挙句、おまけに一番興味のない開発管理や進行管理を任されるのです。

 Is this a Nightmare?

 Exactly!HAHAHA!!!

 ゆーてる場合じゃありません。とにかく開発効率やデザイン論、UI/UXなんかばっかり考えてきた脳味噌に突然管理の話なんかヤらせようったって土台無理です。これは相当に苦戦しました。どうすれば出来るだけロスなく開発進行を監督出来るのか?こんな、今でも「そんなもん答えなんかないわい」と思えるような事を、あれやこれやと必死に考えていたものです。

 しかし努力量の割に、成果は微々たるものでした。

管理者になってまずヤった事

何事も最初の一歩が肝心です。そして僕は形から入る男です。形から入るのって結構イイと思うんですよね。なんと云うか演武みたいなもので、まず身に着けたい所作の型を繰り返し練習する事で、体が反射的に動くようにするって事ですから。

管理者向けの書籍を読んだ

役員てのは基本的に「会社を前に進める役」です。採用、投資、教育、人事考課、開発力強化、財務、会計、関係会社強化、とかとか、漢字のやる事ばっかです。でドレにも書籍がわんさか出版されていてドレもとても面倒そうに見えました。

 とにかく頼る人がいない時には本を読むに限ります。同じような困難を前にして、僕なんかよりももっと考えて解決策を見つけた人が過去にはたくさんいるハズですから。僕の困っている事なんてきっとアルアルネタのひとつに過ぎない、と思ったんですね。

 でもダメでした。

 多くの書籍は、会社員経験を当たり前のように通り過ぎて来た事を前提に書かれているもので、僕には当てはまらなかったんですね。企業家達のセンセーショナルな手記などもあるにはあったのですが、今度は内容が読み物化していて、自慢話とラッキー話にまみれていました。これも役に立ちません。

 でどうしたのか。

 難しい本はその瞬間には難しいままだと思ったので、むしろ分かりやすさだけで本を選びました*1。つまり、新入社員が読むような本です。組織のイロハだとか、社会人としての礼儀だとか、初歩的なものもありましたし、意識高い系新卒正社員向けのちょっとイキった感じのものもありました。

 これが大いに役に立ったんですね。

 管理される側の心得や礼儀や知識が書かれているので、そうした人々の業務外範囲や待たれている指示なんかを、逆算的に想定したって感じです。結果的に、両側面から物事を見る事にもなったので、結果オーライ!ラッキー!って事にしました。

 すると段々、最初は難しそうと思えた書籍が読めるようになったんです。ラッキーの連続です。お得感ありました!

管理ツール

もうね。ソレっぽい宣伝文句の管理ツールが山ほどあるんです。ドレ使ってもむっさ業務効率があがりそうな印象で。でも業務効率が上がらないと云う課題は各社で履いて捨てる程転がってるワケです。つまり使い方が重要って事ですよね。

 それまで管理のカの字も考えずにやってきたのに、突然管理ツールの評価なんて出来ません。

 でどうしたのか。

 総て手書き、の情報管理に変えました。時代に逆行しまくりですね。わかっています。ペーパーレスが当たり前になりつつある中で僕は紙を選びました。管理者ってやつは取り扱う情報の種類が断然多くなったので、手書きはより非効率になるかに思えましたが、実際はそうではありませんでした。

  1. 基本的にノートを持ち歩くようになる
  2. 何かあったら1ページには1件しか物事を書かないようになる
  3. より手早くまとめられるようノートの書き方・ルールが洗練されてくる
  4. 熟語や漢字を覚えるようになる
  5. 仕事で使う英単語も覚えるようになる
  6. 情報共有はノートのコピーで済むようになる

 こんな感じです。ノートのとり方は本当に研究を重ねました。重要だったのは、他人が見ても分かりやすくするって事でした。コピーして配布とかしますからね。商談中に手元でとったmemoをわざわざタイピングしなおすなんて事が面倒で仕方なかったからです。時間もかかるし。

 ともかく、アナログな方向に向かったのは、僕には合っていたようです。同じ方法を何人かの部下に伝えてみたりもしたのですが、合う合わないはあるみたいでした。誰にでも通用する方法なんてないんだなーと思ったものです。

 そうして、役員としてはあまりに初歩的な事から始め直した感がありながら、熱心で拘りの強い社員達のおかげでなんとか全体の開発力、デザイン力も少しづつ上がってきます。

役員報酬の話

まー今だから書ける事もあります。創業からこの頃まで、毎年役員報酬は上げていました。年収1000万円超えが普通になり、20万円/月の家賃もへっちゃらになりました。

 しかし、むっさ働いていたので、派手なお金の使い方はしませんでしたね。いや出来なかったと云うか。せいぜい、8万円くらいのおもちゃを買ったりとかその程度です。車も興味なかったし、時計なんかも2万円くらいので満足していましたし。基本的に高いものを買う習性がなかったものですから、もはや買い物をする時に値段を見なくて済むようになってしまいました。

 それまで出来なかった、両親への誕生日プレゼントなんかが出来るようになったのは良かったです。自分ひとりで味わうには大きすぎる恩恵でしたので。

時代はリーマンショック前夜

僕が、のらりくらりと自分役員化の準備を進めている最中、業界界隈はそれなりにバブリーな景気を謳歌していたようです。初めて会社経営の側に立ったので、その時代の景気がいいのか悪いのかなんて、その時は全く分かっていませんでした。

 営業活動もさほどに行っていませんでしたし、大体一つの仕事が終われば次の案件の話が舞い込んでくるような時代。丁度任天堂の主力携帯ハードがABGからDSに変わって、DSバブルがあったんですね。開発会社でありながらプログラマを抱えていない体制でも、マネジメントと企画、デザイン、を武器に十分戦えた時代です。

 しかし長続きはしませんでした。

 2008年夏、アメリカで市場最大規模の投資銀行倒産と云う事件をきっかけに、じわじわ日本でも影響を食らい始めます。

 日本はたまたまサブプライムローン周辺の債権とは無関係の状態だったこともあって、直撃のダメージは弱かったとされています。この頃で僕達の会社は社員数30名程度にまで増えていましたが、それでもまあ超零細企業の一つに過ぎません。リーマン・ショックの影響なんて毛ほどもないと思っていました。

 当時のクライアント様は、大手玩具メーカーのT社とK社です。我々もやっと年商で2億円超えて来たなーというタイミングでした。各銀行もこぞってプロパー融資の申し入れをしてくる感じ。何せ、設立から5年くらいは、売り上げも利益も急角度の右肩上がりでしたからね。そら貸したがるわ。

 現金で常に3000万円くらいを持ちながらお金を回している感じだったでしょうか。

リーマン・ショックが報道されてから

リーマン・ショックなんてキャッチーな言葉がマスメディアを跋扈した夏が終わり11月の下旬、突然メインクライアントの2社から訪問したいとの打診を受けます。次の仕事も大枠が固まり始めていたので、その確認かなと思い社長と僕の二人は同日に大手2社の訪問を受けました。なんと事業本部長まで来社されたのです。なにこれ。なんで?

 簡単に云うと、リーマン・ショックの影響を懸念して、翌期以降の販売計画、開発計画を見直す事になり、身を守る為に外注していた開発は総て白紙に戻し、攻めの経営は数年見送る、と云う内容を直接伝える為に来社されたのでした。

 つまり準備していた仕事は一旦ナシね、と云う事です。しかも、2社とも同じ内容でした。がびがぼーん!

 2件の訪問、時間にして合計3時間程度のあいだに、約2.5億円の仕事が吹っ飛びました。もう社長と僕は笑っていましたね。笑うしかない感じ。自分達の会社は3月決算だったので期内は流石に全然大丈夫でしたが、4月からの仕事がぽっかり空いちゃったワケです。さー困った困った。

役員で迎える苦境

ここからは、なかなか苦しい時代に突入します。会社存亡の危機と、コンシューマゲームの衰退、ソーシャルゲームの台頭、が同時進行し始めるんですね。いずれにせよ、役員になってからの僕は、自分で何かをするのではなく判断と決定をすると云う事が仕事の大部分を占めるようになりました。

 判断も決定も、やりたがる人はなかなかいらっしゃいません。たまに居るとすれば、社長と云う人種に他なりません。彼等は自ら進んで、判断し決定する仕事を選んだ人類です。

 なんでもそうだと思いますが、大事なのはバランス感覚で、機械のように次々とただ処理を繰繰り返すだけでは社員は着いて来てくれませんし、目標も示さずだらだらとヌルい関係を続けていても会社組織は成長しません。

 社長と僕は、ちょうどその役割を2つに割って、一方が7:3、もう一方が3:7で担当するような感じでしたね。クリエイティブ、センシティブな活動を7割、管理や経営的振る舞いは3割、みてーな。

 この分担制度はなかなか巧く機能したんですね。序盤は。

 人は苦しくなってから、人の本当の姿を見る事になります。苦しい時に共に戦ってくれる人は誰か、転んでも見捨てずに励ましてくれる人は誰か、そばで寄り添ってくれる人は誰か。苦しい勉強が始まったのはまさにこの時からでした。

最後に

以外と長くなっちゃったんですよねー。苦境の入口でとりあえず一旦区切ろうと思います。職歴エントリを終わらせると最初に書いたのに、終わらせられませんでした。人生はままならないものですね~。と云うワケでvol.003に続きます。■■

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*1:分かりやすさだけで本を選ぶ:みなさん本を買う時ってどうやって選びますか。作家が好きで駄作でも傑作でもどのみち読むからイイ、みたいな場合ではなく、専門書やビジネス書、勉強の手助けとなるような書籍を選ぶ時の話です。僕はあまり買う前に内容を立ち読みしないようにしています。見るのは目次と奥付だけです。目次を見て、これはぜひ読みたい!とか面白そう!とか強く興味を惹かれるものを選ぶ為です。目次の時点で魅力がないものは、自分に合わない事が多かったからです。あと奥付を見たいのは、一体いつに出版されたのかと云う点と、何刷りかを知りたい為です。目的にも寄りますが、あまり古過ぎるものは欲しい情報に適さない場合があるからです。あと、増刷が重ねられた書籍はよく売れたのでしょうから、汎用性の期待値が上がるのです。

written by つよ